廉塾は、江戸時代の儒学者・菅茶山によって備後国(現・広島県福山市神辺町)に開かれた私塾。
開塾は、茶山が34歳になってからの1781年(天明元年)頃とされる。
当初は神辺町の南方にある黄葉山にちなんで、黄葉夕陽村舎と呼ばれていたが、のち茶山が福山藩の非常勤の儒官となり、黄葉夕陽村舎も郷校となったことで、廉塾に改称された。
廉塾は文化・文政期に最盛期を迎えたが、『福山市史(中巻)』によれば、廉塾の「諸生金銀差引算用帳」をもとに塾生の人数を計算したところ、1811年(文化8年)から1824年(文政7年)までの入舎生数は330名余りに上ると推定される。年に20名余りが新しく入舎していたが、去っていった者をも計算に入れると、いつも30名ほどが在籍していたと思われる。
門下生には、頼山陽、北条霞亭、関藤藤陰、江木鰐水、門田朴斎などがいる。
廉塾及び茶山旧宅は、1953年に国の特別史跡に指定されている。