一方、毛利軍は桜尾城を本陣として、、6月5日には陶軍の陣地へ先制の急襲をおこなった。一説には陶軍の陣に対し、毛利軍は、北・東・南の三方より進撃して、果敢な激戦を展開したという。
陶軍は総崩れとなり、末軍の将宮川甲斐守房長は、敗死し、毛利軍の圧倒的な勝利に終わった。毛利元就は6月7日には、「宮内の五十貫の地」を戦勝の祝いとして厳島神社に寄進し、8日にはさらに、玖島・白砂に進撃している。
この戦いは、「折敷畑(明石口)合戦」と呼ばれ、毛利氏にとっては、厳島合戦の前哨戦で、陶軍に勝利した大変意義のある合戦であった。
折敷畑の戦いの主戦場とされるポポロの森(四季が丘公園)
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